【ンコシ・ジョンソンを称えて】何した子?HIV陽性のエイズ孤児が残した業績とは?

2月4日にGoogleのロゴが変更され「ンコシ・ジョンソンを称えて」と表記されて、思わずクリックした方もいるのではないでしょうか。

今回は「ンコシ・ジョンソン」君が何をした子なのか、その業績についてご紹介します!

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【ンコシ・ジョンソンを称えて】何した子?HIV陽性のエイズ孤児が残した業績とは?

ンコシ・ジョンソン

出典:https://www.google.com

ンコシ・ジョンソン君は南アフリカ出身のエイズ孤児です。

母親がエイズだったため、現在ほど医療技術も発展していなかったこともあり、母子感染を起こし生まれながらにしてHIV患者でもありました。

エイズ孤児とは
エイズによって片親もしくは両親を失った18歳未満の子どものこと。

 

ンコシ君は父親のことも知らいと話しているため、失踪したか亡くなったのかは不明です。出産時には母親はすでに衰弱していたため、育てることもできませんでした。

そのためヨハネスブルグの医者でもある「ゲイル・ジョンソン(Gail Johnson)」の養子となります。

 

小学校への受け入れを拒否される

1997年ンコシ君はヨハネスブルグの郊外の小学校に入学しようとするも、「HIV陽性」であることを理由に受け入れが拒否されてしまいます。

 

当時の南アフリカでは憲法上、医学的地位を理由とした差別を禁止してい他こともあり民衆は大激怒。

 

そんなこともあり、小学校側は入学を許可する方針に変更し、ンコシ君は無事小学校に入学することができます。

 

しかし入学した年に不幸にも、ンコシ君の最愛の母がAIDSのためになくなってしまいます。

ンコシ君のHIVも進行はして行くものの、治療を受けながら学校や家庭では活発に生活を送ることができていたようです。

国際エイズ会議のスピーチで世界中から注目

ンコシ・ジョンソン

出典:https://www.fredhutch.org/en/news/center-news/

ンコシ君は着実に進行している体にムチを打ちながら、HIV/AIDS活動家として様々なスピーチを行なっています。

 

そして、ンコシ君が世界中から注目されることになったのが「国際エイズ会議」のスピーチ。

Googleのロゴもその時の様子だと思われます。

ンコシ・ジョンソン

出典:https://www.google.com

 

その時の様子の一部が収められているのがこちら。

 

1分40秒あたりで少しだけスピーチがありますが、そのほかにもインタビューなどが収められています。

 

ンコシ君の国際エイズ会議でのスピーチのメッセージが以下になります。この時ンコシ君はすでに末期でした。

 

『ンコシ・ジョンソンです。南アフリカのヨハネスバーグに住んでいます。11歳です。そして末期のエイズ患者でもあります。生まれたときから、HIV陽性でした。

ママは棺の中で目を閉じていました。やがて棺が墓穴に納められ、土がかぶせられました。それから時間が経つうちに、いろいろなことを忘れてしまったけれ  ど、ママが生きていれよかったのに、と思います。

でもママは天国にいるはずです。そして肩越しに、ぼくを見守り、ぼくの心の中を見ているんです。

エイズになったことが悔しいです。だって、すごく苦しい病気だから。

それに、他の子供たちや赤ん坊がエイズになっていることを思うと、泣きたくなります。

政府が、AZT(ARV薬の1つ)をHIV陽性の妊娠している人たちに与えてくれればいいのにと思います。

そうやって、赤ん坊がもう感染しなくなればいいのに、と願っています。

ぼくたちだって、おなじなんです。

ぼくたちだって、何も変わりません。

みんな、1つの家族なんです。

ぼくたちも人を愛し、笑い。傷つき、泣き、生き、そして死ぬんです。

ぼくたちの面倒を見てください。ぼくたちを拒まないでください。

ぼくたちだって、みんな人間なんです。普通の人間です。手も足もあるし、歩くことも、話すこともできます。

そして、他の人たちと同じように、いろいろな必要を抱えているんです。

ぼくたちをどうか、怖れないで。

ぼくたちもあなたと同じ人間です。』

~著 ジム・ウーテン/訳 酒井泰介

引用:https://www.ngibalulekile.org

 

ンコシ君のこの会議での優しいスピーチを読むと目頭が熱くなりますね..。

 

この国際エイズ会議でのこのスピーチにより、世界的に有名になったンコシ君には講演依頼が殺到します。

 

体調が悪いにも関わらず断ることなくアメリカにも遠征し講演をこなしていたようです。

こんな小さな子がエイズで苦しみながらも、講演をするために世界中を飛んで本当に素晴らしい行為です。

国際エイズ会議後は何が変わった?

このスピーチの後、しばらくして母子感染を防ぐための薬を公費による提供が開始されました。

当時母子感染を防ぐための薬の保障がない中で、TAC(治療行動キャンペーン)と南アフリカ政府との裁判で勝ちとった結果でした。

 

これにより南アフリカではすべてのHIV陽性の患者が、公立病院で無償で薬をもらえるように変化しつつあります。

 

まさに1人の小さな子どもが1つの国を動かした瞬間だったのではないでしょうか。

また義母とともに、ヨハネスブルグにHIV陽性の母親と子どもたちのための避難所「Nkosi’s Haven」を設立しています。

 

それから間も無くして、ンコシ君はスピーチからわずか数ヶ月後の2001年6月1日に12歳という若さで亡くなっています。

Googleのロゴの変更に世間の反応は?

ンコシ・ジョンソン

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