わんなん(ドラゴンの創設メンバー)の経歴や学歴は?中学や高校などの出身を調査!

半グレ集団「怒羅権(ドラゴン)」の創設メンバーとして、
汪楠(ワンナン)氏がザ・ノンフィクションに出演しインタビューに答えています。

ワンナン氏のその壮絶なエピソードは、
話を聞いただけでもかなりショッキングなものだったでしょう。

そんなワンナン氏がどんな経歴を持っているのか、
学歴や出身の中学、高校とともに調査しました。

汪楠(ワンナン)の経歴や学歴は?

出典:https://friday.kodansha.co.jp

怒羅権(ドラゴン)の創設の経緯とは

ワンナン氏は中国の吉林省長春市というところで生まれ、
中国の残留孤児の母に育てられ、1986年に日本に来ています。

残留孤児とは終戦の時に旧満州に住んでいた日本人で、
旧ソ連の侵攻によって親族と死別したり、
中国人に引き取られたりなどして中国に残された子供達のこと。

母親がその残留孤児にあたり、
そしてワンナン氏が残留孤児ジュニアということになりますね。

日本に来た当時ワンナン氏は13歳で、
母はウェイトレスとして働きながら葛西のアパートで暮らしていました。

来日して1週間後には葛西中学に通っており、
そこには残留孤児ジュニアが60人ほど通っていまいした。

この時はまさに不良全盛期という時代だったこともあり、
ワンナン氏を含め他のみんなも相当ないじめを経験されています。

「中国人」「ばか」といった言葉だけでなく、
毎日殴られたりするなどされていたみたいです。

そんな毎日を過ごすことで身を守ろうと、
ワンナン氏たちは固まって集団で過ごすようになったんですね。

そして反抗心を募らせたメンバーが不良にやり返すように。

これが「怒羅権(ドラゴン)」の始まりでした。

怒羅権(ドラゴン)由来や創設後の大事件

怒羅権の創設メンバーは12人でリーダーはいない。

最初はカタカナで「ドラゴン」だったみたいですが、
日本語を間違えたりということもあり、
当て字で「怒羅権」となったというわけですね。

この当時はまさに暴走族の全盛期でもあったこともあり、
怒羅権メンバーはバイクを盗み無免許で乗り回していました。

また喧嘩に明け暮れている中で、
反社会集団へと大きく変わっていく出来事が起こります。

それが1989年の「浦安事件」と呼ばれるものです。

怒羅権メンバー8人が地元の暴走族50人を相手におそわれ、
その乱闘で怒羅権メンバーの1人が過剰防衛によって逮捕されてしまいます。

正当防衛と考えていた怒羅権メンバーだったは、
警察に対する不信と怒りが芽生えることとなりました。

ワンナン氏の出頭の経緯

ワンナン氏の先輩が焼肉屋でともみ合いになり、
大人数でもみくちゃにされ、そのまま還らぬ人となってしまいます。

そんなヤクザにも敵対心を抱くようになります。

1990年ごろにはワンナン氏は、
東京の府中にある学校に転校していました。

そして府中に葛西の怒羅権メンバー率いる暴走族を引き連れ、
府中も支配下に納めて行きました。

勢力を拡大するにつれ、入る人も現れはじめ、
ワンナン氏もそのうちの一人に。

そしてワンナン氏が18歳の頃に、
組員と揉め少年刑務所に2年間収容されています。

出所してからもワンナン氏の、
そういった行為はエスカレートしてしていきます。

組みを抜けてからもとどまることをせず、
ワンナン氏たちによる被害額はトータル10億円以上までに上ると話しています。

そういったこともあり2000年に逮捕され、
13年間服役したことがきっかけで読書にのめり込むようになります。

その読書がワンアン氏の心を浄化し、
心から”怒り”が消え、出所後にはNPOで活動をしています。

そして怒羅権のメンバーの更生に尽力し、
チームの解散を提案しながら奮闘を続けています。

汪楠(ワンナン)の経歴や出身の学校まとめ

今回はワンナン氏の経歴を中心に出身の学校なども紹介しました。

ワンナン氏の現在の穏やかな顔からは、
想像するのが難しいくらい壮絶な経歴でしたね。

今出ている情報からは具体的な場所の特定にはいたりませんでしたが、
中学は葛西中学、高校は葛西、府中にある高校に通っていたと考えられます。

私はこういった経験とは無縁なので、
話を聞いているだけでガクブルでした。笑

同じ時代に生きていたら、
果たしてどうなっていただろう、と恐怖でした。^^;

と、今の時代に改めて感謝を感じています。笑

最後までご覧いただきありがとうございました。

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