大河ドラマ麒麟がくる(2020年)の撮影決定!滋賀 京都 兵庫 福井のロケ地の場所はどこ

2018年4月19日、2020年に放映される予定のNHK大河ドラマ

「麒麟がくる」の撮影が決定され、

明智光秀にゆかりのある土地から歓喜の声が上がり話題になっています。

 

「麒麟がくる」は、戦国武将である明智光秀を主役に置いた、

大河ドラマとして撮影される模様。

福知山市は明智光秀に深くゆかりのある土地であり、

ドラマ誘致の署名では、26万1745筆が集まっていたそうです。

今回はそんな「麒麟がくる」のロケ地はどこで撮影される予定なのか?

調査してきました。

大河ドラマ「麒麟がくる」のロケ地はどこ?

今回、明智光秀を主役に撮影される「麒麟が来る」ですが、

滋賀・京都・兵庫・福井がそれぞれゆかりのある土地としてあがっています。

ロケ地になったり、明智光秀が話題になればゆかりのある土地の経済効果は

すごいことになることから市民の間ではかなりの噂になっているそう。

肝心のロケ地ですが、今の所は本決まりしていないのか公表はありません。

予測を立てていきます。

滋賀県で大河ドラマ「麒麟がくる」のロケ地になる場所は?

今回主役となる明智光秀は近江国坂本城主(現滋賀県大津市)という事で有名です。

この、坂本城は、延暦寺が盛り返さないよう監視ができる地としてと、

山中越で京都に通じる交通の拠点であるという点から、

織田信長から司令を受け、明智光秀が、比叡山麓の坂本の地に築城させたものです。

現在、坂本城は豊臣秀吉に焼き討ちに合った事から、痕跡は残っていません。

そのため、ドラマの撮影という性質上、この坂本城跡が、ドラマの撮影場所になる確率は薄いのではないかと予想できます。

ドラマの撮影地となるなら、明智光秀の墓がある西教寺

大きな事件のあった、延暦寺あたりで行われるのではないかと予想できます。

また、滋賀県といったら、琵琶湖は外せない事から、琵琶湖のどこかを明智光秀が望むシーンもあるっかもしれませんね。

福井県で大河ドラマ「麒麟がくる」のロケ地になる場所は?

福井県の明智光秀にとってゆかりのある土地は、称念寺

この場所は、明智光秀が、弘治2(1556)年に齊藤義龍の大軍に敗れ、

妻の熈子や家族と伴に、越前大野を経て訪れた場所だという事で有名な場所です。

この齊藤義龍に敗れた話はドラマでも確実に使われるはずなので、称念寺での撮影は

かなり現実的かもしれません。

兵庫県で大河ドラマ「麒麟がくる」のロケ地になる場所は?

兵庫県で大河ドラマの撮影場所になる可能性があるのは、兵庫県三田市

兵庫県三田市は織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると

丹波国攻略のために三田を城下町として整備しました。

荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると、信長の家臣・山崎堅家が近江国から2万3千石で入封。
本能寺の変が起きたときに、明智光秀の圧力を受けて降伏したという事から

このシーンに対する描写も期待できそうです。

http://matinami.o.oo7.jp/kinki2/sanda.htm

三田市には、画像の通り、城下町の風情がまだまだ残っており、どこかでロケ地としての

需要がありそうなのは間違いないのではないかと思われます。

まとめ

「麒麟がくる」の放送開始年である、2020年は東京オリンピックイヤーとして、

日本が活気づき、数々の外国人が来日する年でもあります。

外国人が大河ドラマを見る可能性は低いかもしれませんが、日本全体が盛り上がっている年であるのは間違いありません。

そんな、活気のある年に、経済効果のとても高い大河ドラマのロケ地として選ばれやすい、

滋賀・京都・兵庫・福井の4県はとても嬉しいニュースですね。

まだ2年後という事で、まだまだ先のイメージがありますが、これから色々な

ビジネスの準備を始めるのにはちょうどいいかもしれません。

放送開始の2020年が楽しみです。

2 件のコメント

  • 明智玉〔後の細川ガラシャ〕と清原佳代〔清原マリア〕との出会いが大変劇的で、大河ドラマ「麒麟が行く」の脚本の1シーンに是非加えて欲しい!

    九州熊本に残る「細川家 綿考集録」より抜粋。 長岡京市郷土史研究家 五十棲辰男「勝竜寺城物語」より。

    天正六年(1578年)9月14日(旧暦8月)当時16歳の明智家三女の玉子(後の細川ガラシャ夫人)は近江(滋賀県)坂本城から、明智光秀夫妻に見送られ、玉を中に挟んだ三梃(ちょう)の女輿と、これを警護する騎馬武者、徒士(かち)の兵を伴った「嫁入り行列」は朝から坂本城を出立した。 京都の比叡山から東山の蹴上げを越えた一行は、その日細川家の親族である、公家の清原頼賢故郷の屋敷に一泊する。
    ところがその夜、玉子のお付きの乳母が「腹痛」を起こしてしまう。

    当時の清原邸には「厄介な娘」が一人居た。
    名前は佳代。 (洗礼名 清原マリア)である。
    この娘は、当時近所に居た孤児達を集めて食べ物を施し、「孤児院」を作って居たのである。
    この夜、娘の佳代(マリア)を呼びだした頼賢卿は、「玉の従女である、腹痛の乳母に替わり京都の西山にある、長岡の地にお供をするように。」と頼んだ所、「それならば、私は喜んで、玉さまの御世話をさせて頂きます。」と自ら進んで願い出たのである。
    京都西山、「長岡の地、細川家」に嫁入りした、明智玉子は、後にキリスト教の洗礼を受けて「ガラシャ(恵み)」となったのには、御輿入れの際に、乳母の腹痛により、急遽付き人になった清原佳代(マリア)が深く関わった。
    以上、細川家綿考集錄より抜粋ー

    このシーン、大河ドラマの「麒麟が行く」で取り上げて欲しいです!

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